☆ハイキャットのはじまり☆
昭和49年、新しい有線テレビジョン放送法の施行により
それまでの稲取有線テレビ共同聴視組合から法人を組織、
新施設を建設した。中心となったのは稲取地区の6件の電気店。
初代社長には黒田多兵衛が就任した。
・・・その後の経歴・・・
昭和49年7月 |
当時の最新広帯域システム建設(250MHz) テスト放送開始 |
同年10月 |
テレビ電波放送再送信事業、ハイキャット2チャンネル放送事業開局 加入件数 600世帯 当時としては珍しい町のテレビの幕開けであった。 |
同年12月 |
東伊豆町議会中継開始 全国のCATVでは初めての試みであった。 |
昭和50年4月 | 東伊豆町議会選挙にあたり開票速報を 会場とスタジオの二元中継で行う。 |
同年10月 | 日本CATV番組コンクールで日本一のグランプリ受賞 番組名「爆撃戦後30年」稲取の空爆を回顧ドキュメント |
昭和51年10月 | 日本CATV番組コンクールで優秀賞受賞 番組名「はんまあ様」 稲取に伝わる民俗学的にも貴重な風習をルポ。 当時最新鋭の4分の3U-マチックカメラで収録。 |
昭和52年6月 | 東伊豆町民文化祭を開催提案。町民有志と開催準備に入る。 |
同年10月 | 日本CATV番組コンクールで優秀賞受賞 番組名「伊豆急トンネル災害から16年」 伊豆急行開通直前のトンネル工事事故の慰霊祭と共に 当時の様子を回顧ドキュメント。 |
同年11月 | 第1回東伊豆町民文化祭にスタッフ全員参加。舞台を収録放送。 |
昭和53年1月 |
伊豆大島近海地震発生。マグニチュード7 震度5 |
同年6月 | 電波の日に東海電波監理局より「災害時の放送功労」として表彰される。 |
同年10月 | マイコンによる自動放送装置を開発 放送の自動化を全国に先駆けて導入 |
同年11月 |
静岡県工業試験場のみかんワインを取材開始 |
昭和54年10月 |
日本CATV番組コンクールで優秀賞受賞 |
昭和57年4月 |
稲取入谷地区へ線路延長 |
昭和60年4月 | 伊豆急ケーブルネットワークに出資 |